kshinshin's blog

ヨモヤマ話

映画「呪われたジェシカ」

南部の田舎町に精神を止んだ履歴のあるジェシカと夫、その友人が移住する。リンゴ園をもつ屋敷に住むのだが、当然のように町の老人に嫌われる。ここで包帯を巻いた老人が男しかいないとか、渡し船の船長らしき男に「あそこに住むのか」など言われるのはムードホラーの常道である。ジェシカは白い服の少女や幻覚じみたものを眼にするが、治癒したのだと思われたいので、我慢する。家にはドロップアウトした女がいて、この女は夫とその友人へ秋波を送り、男たちもキャッチする。ジェシカもまた女にただならぬ好奇心を抱く。やがて骨董品屋の男が死体で見つかったり、少女が幻覚ではなかったなどのシーケンスが挟まれるが、ジェシカの怯え方に男たちはドン引きしてしまう。理不尽なまでに追い込まれたジェシカは屋敷そばの池で死にきれぬ怨霊に怯えるが、じっさいは吸血鬼女が支配する町であることが判明するにいたり、絶望的な脱出を試みる。

ジェシカの脚が素晴らしいので、吸血鬼女の性的魅力がよく掴めないという私的事情があって、男どもの堕ちた道というのが、意外に安っぽいのでジェシカがたいそう不憫に思えるという神経症的ホラーである。

 

岸川真

映画「燃える昆虫軍団」

ウィリアム・キャッスルが関わっているというだけで、猥雑で楽しそうだと期待が膨らむ映画である。テレビで観た覚えがあるきりで、まともに観るのは初めてだ。

地震が起こって、教会もパニックになる開巻。ここで生物学者の妻が参加しているのだが、送ってあげると約束した老人は息子の車に乗り込んで、生物学者の妻を置き去りにして帰宅する。どうも老人の農場が震源地で、辿り着いたのはいいが、発熱する虫のせいで車ごと焼死する。ここの娘と恋人があれこれあるのだが、重要なのは地割れから現れた発熱する昆虫で、生物学者に恋人が相談に行く。そこで生物学者は発熱する昆虫を持ち帰り調べるが、外骨格が硬く、生殖機能もない虫だと知る。あちこちで火事が起こるので駆除方法を探るのだが、生物学者の妻は誕生日の食事会のメニューを考えていたら頭に虫が這い込んで、発火し、焼死する。

ここらの誰が主人公やらさっぱりわからないところは、イーライ・ロスも70年代の散漫型ホラーの啓示を受けているんだなあと観ながら分かる。

さて、生物学者は研究室(なんと1408号室である。足せば13というハッタリ)で半狂乱、さらに昂じて狂気になり、虫を改良する。で、自分でも「やりすぎた」と思うほど改良された虫は意志を持つまでにいたる。生物学者の妻の友人も食い殺し、挙句には創造主たる生物学者も殺して地底へ消えていくという、どうにも地獄な終幕で、燃えるということはどこへ、食うにいたるのはどうして、などと疑問の山を築かせる。表情筋が吊るほど苦笑を滲ませてくれるが、なにかインスパイアを与えてくれそうな隙間があって、悪い気がしないのは、ウィリアム・キャッスルの力の偉大さなのだろうか。ここの気圧をいじる面妖な装置には感心した。あまりに雑、かつローテクな味わいで、とても機能するとは思えないが、機能してしまうという力技は感服する。

 

岸川真

映画「ストーカー」

タルコフスキーの「ストーカー」だが、原作のみ読んでいただけで、以前名画座で観ていた時は寝てしまい、二回転目の上映にも気づかず、さらに寝て、思い出したら終映時間だったという、「さすらい」でも同じことになった、そういう思い出がある。

今回リマスター版を眺めてみたら、なんだこんないい話だったのかと感心しきり。昨年ぼんやりして借りた「惑星ソラリス」の時も、けっこうずうっと観て、いい話じゃないかと思ったので、やっぱり年齢とかも関係するのか。

基本的に陰気な話だ。

ゾーンという未知の場所があり、そこは立ち入り禁止区域。その案内人がストーカーというのだが、ストーカーは案内人として特殊な存在であり、かつ裏商売らしく妻は出かけることに反対する。けれど、自分の存在意義はゾーンにあると誇りがあるストーカーは作家と教授を案内する。ゾーン手前の検問所がいい。無機質で光が煌々とし、なんともいいなあと感じる。ストーカーは二人にいろいろと話をしてみせながら、更新される罠を避けて目的地である部屋の手前まで連れて行く。ひどく荒れ果てた廃墟と森が同居しているゾーンは魅力的で、三人のダイアローグも飽きさせない。衒学的と言われているが、けっこう単純な人生論であるので、明晰な映画と位置づけていい。頼み事を叶えてくれるゾーンの部屋へは三人共足を踏み入れず、帰って酒場で黙々と飲んでいたら妻が迎えに来てくれて、ストーカーはインテリの愚痴をこぼしながら床につく。妻はこういう結婚に悔いはないとカメラ目線で語りかけ、そうか偉いなあと僕は感心した。で、お猿さんとかあだ名されている娘は開巻でも、おや、と思ったが、やはりサイキック能力を持った脚の不自由な少女であることが判明し、なんだか知らないが、ゾーンとかストーカーとか原発の傍の街の片隅に生きることが、明晰にたいへんなことなのだよと伝わって、そうかそうであったかと頷くことで終幕となる。

 

岸川真

映画「トレマーズ」

劇場公開の二本立ての一本として観て、非常に面白かった記憶がある。今回観直してみると、やはり面白い。けれど、ガキっぽさを失いつつある僕は、悲しいかな、脳天気さに苦笑したりする。アメリカ西部のど田舎、14人の町で便利屋稼業を営むケビン・ベーコンフレッド・ウォード。なんだかんだで町を出ようとしたら、鉄塔に死体を発見。これは変だぞということから、土に棲むワームが原因だとわかる。町のみんなで脱出を図るがうまく行かず、ビクター・ウォンなんかも死んでしまう。地質学者や第三次世界大戦に備えている夫婦が活躍し、ブルドーザーで脱出を敢行する。しかしブルドーザーを足止めされてしまい、最後の対決を岩場に登って行うという話だ。

フレッド・ウォードがなんだかいい味で、さらにケビン・ベーコンもこの頃からやっぱりいい味をだしていて、出汁が効いた小品として光るものになっている。

 

岸川真

映画「1408号室」

ジョン・キューザックの一人芝居に近いこの映画。もとはジャンル作家ではなかったが、娘の死をきっかけに幽霊屋敷、幽霊ホテルなどを題材に書き飛ばしている彼が、1408号室に来るなという葉書をもらって、娘の記憶に彩られ、忌避しているNYへ行くことにする。支配人のサミュエル・L・ジャクソン親仁が行くなとまくし立てるが、ジョン・キューザックは部屋に宿泊を強行する。そこからの幻覚か幽霊の仕業かの成り行きはネット内でも話題になったようだが、どちらにせよ、「部屋」の力によるものだろうから、超常現象によるものだと僕は断定しておく。映画はラジオ付き時計(カーペンターズが流れるのは薄気味悪い)がカウントする60分、制限時間内の恐怖時間がスタートした当たりで、すっかり退屈になってしまった。

おそらく同じ原作者の映画化ということでキューブリックのシンメトリー画面を取り入れたりしているが、飛び降り者の幻影が、ホログラムっぽすぎるとか、全体の統一感を欠いた幽霊や妖怪変化が現れることで、ジョン・キューザックの過去など退屈の極みまでふっとばされてしまい、そこから展開が苦しい、尺が持たないと思ったか、観客を惑わすような演出をことさら大仰に行い始めるに至って、その手前勝手な演出ぶりを糾弾せずにはいられないという、こちらもまた勝手な正義感に駆られる始末だ。

最終的に妻と和解し、というところまで行き着くものの、この不届き者の監督・脚本家は「さあ、どっちが現実でしょう? これは」という後味を付随させてくれるので、最後まで幽霊譚を楽しめないということになっている。

えてしてAクラスの予算でホラーを撮ったものは、珍作、愚作に陥る。珍作は亡くなった石上三登志さんが「観るべきものがあるので珍作。どうにもならないのは愚作」と仰っていたが、本作の場合は愚作と断罪しておく。

 

岸川真

映画「サベージ・キラー」

聾唖の女が婚約者のもとへ行く途中で先住民刈りをするレッドネックたちに捕まり、強姦され、死亡寸前にまで追いやられる。辛くも生きていた彼女を先住民の呪術師が救け、魂を復活させようとするが、レッドネックの祖先が殺したアパッチ族大酋長の怨霊を呼び寄せてしまい、死んだ女の肉体に入り込み、復讐を行っていく。女と大酋長は同居していて、レッドネックと見ると豹変し、殺戮する。婚約者もやってくるが簡単にレッドネックの手に落ちる。どういうわけか婚約者を拉致したレッドネック仲間の砦に女は姿を現し、大殺戮を敢行する。逃げ延びたレッドネックのリーダーは呪術師に倒し方を教わるが、女もやってきて最後の戦いになり、やっぱり勝利する。とにかく冗談すれすれにまで強い女だが、身の上や死ぬに至った経緯が哀切であるので、笑うに笑えず、とにかく復讐を見守るしかないということになる。これがいいのか悪いのか、判断に迷うが、飽きずに観ることが出来たのだったらいいとしよう。

なんとはなしに観ていて居心地が悪いのは設定と展開が呑み込めるが、呑み込むにはいささか重いからだろう。こういう映画の場合は、命は意外に軽いという全体を貫く骨が必要で、命は大切だという認識は邪魔になる。こう書くと、お前はどうたらこうたら言われそうだが、「赫獣」を書いた身で、「執行実包」を書いた身であるから、物語をこの時代に愉しむことにおいて、命なんて軽いといって何が悪いと居直っておく。

 

岸川真

映画「キャビン・フィーバー」

公開時は銀座シネパトスで観た。イーライ・ロスという名前を覚え、「ホステル」でも感心頻りだった。公開された時はデイヴィッド・リンチ褒め言葉で誘われたのだ。アンジェロ・バダラメンティが音楽を提供している。

再見してやはり、イーライ・ロスは才人だと思った。ノーテンキな大学生5人組が山小屋を借りて休日を過ごしにやってくる。中学生時代から憧れの彼女と一緒の男は、なんとかして彼女と交接したがっているがモジモジ煮え切らず、彼女もまた交接したがっている彼の気持を知っていながら、接吻だけでお預けという関係。いっぽうで賢そうな金髪とブルネットと女は山小屋につくと派手に交接する。もう一人のちょっと足りない餓鬼大将はライフルでリスを撃ちに行く。そこで瀕死の地元民に出会うが間違って撃ってしまい、この地元民の有り様に怯えて逃げてしまう。キャンプファイヤーの折に撃たれた地元民はやってくるのだが、皆で怯えまくった挙句に火刑に処すようなことになる。皆が皆、後味が悪い空気が漂うが、そこまで本気で悩んでいるのかというとそうでもないので、こいつらは死ぬべきだという了解が観客とイーライ・ロスで結ばれる。

貯水池に落ちて絶命した憐れな地元民の体液がぐるりと山小屋へ行き、何も知らずに悩んだり困ったりしている憧れの彼女が地元民同様に変わり果てる。手で犯し始めた交接志願の男の、弱ったから行為に出るという気色の悪さがいいのだが、一転、下半身が爛れた彼女に怯え、皆で彼女を隔離する。あれこれやってくうちに、ちょっと足りない餓鬼大将も感染し、救けを求めに行った先で逆に追われ、山小屋に戻って、交接志願男と組んで追手を殺すが自分も撃たれて死ぬ。この交接男は金髪男の恋人と交接して、気晴らしをするが、恋人も感染していて犬に食われてしまう。犬は憧れの彼女も食い散らしていて、交接男が発見し、襲ってきた犬を撃ち殺す。もう憧れの気配もない彼女へとどめを刺した交接男は脱出を図るものの、迂闊な地元警察によって始末される。

基本的に迂闊な登場人物が迂闊に死んでいくのがホラー常道であり、この作品はそれに則って作動している。けれど端々に脱臼気味のシーンを挿入し、はじめ観ているとこいつが主人公かと思う、そこを抹消してしまう作劇はイーライ・ロスならではであることが確認できた。

みんなして死んでしまえという、どん底感とユーモアの同居、ちょっぴりセンチメンタルな感じは彼の持ち味なんだろう。

 

岸川真