kshinshin's blog

ヨモヤマ話

7・24の雑記

一ヶ月くらい更新せずにいたら、又吉さんが芥川賞獲ったりといろいろ本の話題も多く、ありゃりゃ流行に乗り遅れているなと慌てた。別に慌てちゃいないけど、そういう風に書いておく。

引越し先も7月の頭にいろいろ巡って、なんとか滑り込みで三鷹市に決定し、いまはその転居のあれこれでじたばたしている。その間も原稿と原稿と原稿のことで、やはりじたばたしている。

七夕過ぎた、九日に「文藝」秋号が出て、拙作「蹴る」が掲載された。吉村萬壱さんから「怪作」の評を頂いたのが皮切りで、その後、メールやおハガキでご感想を貰い、あー書いてよかった、担当のO編集長ありがとう、とニコニコしていた。Oさんというのは中原昌也さん経由で知り合った方で「赫獣」を拵えてくれた恩人である。ソフトで、どこかアンタッチャブルの柴田に似ている、ソフトなひとであるが、的確にアドヴァイスしてくるので、仕上がりがいい。また、書いたものに関して、僕があやふやな、玉虫色の主張をするとビシッと突っ込んでくる。受けに回って、あああだこうだいうと「各側の考えが腰が座ってればいいんです」と言う。それはとても驚く話で、自分は編集者に対して気に入られたいことが多く、主張とかを濁すので、あ、それでいいのか、よしわかったぞと自由度を感じたのだ。

Oさんばかりを話題にするとアレだから書くと、文藝春秋複数担当者も物凄く的確だ。ここで編集者という仕事で、僕もいくつか関わっていたけれど、純文学と大衆文学の違いを教えられたのは大きい。〇七年からの第一期、「半ズボン」「あくたれ!」での経験は大きいものの、Oさんからは「文学での書くことの自由」を教えられ、文春の担当諸氏からは「マスな読者に対して、どう作品で臨むか」を教えられた。こういう勉強はこれまでのように一人でもぞもぞ書いては出来ないと思う。

「文藝」での「蹴る」は二日で書いた。

その前に九〇枚近く連作を書いたが、「構造的な小説」と指摘されて、雑誌で発表する作品の意味を考えさせられたものだ。はじめは「構造的な」と言われてもわかんなかったが、総体として出来上がってそこで初めて評価できるものと捉えることが出来た。なので、そうか、こういうことがいいのかと感じてモチーフも変更して、新しいものを書いてみたのだった。

同時の作業で「オール読物」の「執行実包」シリーズを書いていて、読み切りだが、主人公と周囲の変化を書くので、その違いが見えなかったりした自分は得したものだ。「執行実包」の場合は、担当のNさんが言う「わかりやすさ」「独自色」ということで勉強した。六〇枚の長さもあるので、書くことにきつさはないけれど、警察小説、ノワールというジャンルで出来ること、やるべきことを未だに学んでいる。

毛色の違う文学誌に書くことで、鍛えられつつあるなあと思う今日このごろであるよ。

 

岸川真

 

映画日記は疎かになってるが「パージ」二部作と新「ターミネーター」に関しては書いておかねば。あと「悪党に粛清を」は面白かったのでそれも近日中に。