kshinshin's blog

ヨモヤマ話

映画「サベージ・キラー」

聾唖の女が婚約者のもとへ行く途中で先住民刈りをするレッドネックたちに捕まり、強姦され、死亡寸前にまで追いやられる。辛くも生きていた彼女を先住民の呪術師が救け、魂を復活させようとするが、レッドネックの祖先が殺したアパッチ族大酋長の怨霊を呼び寄せてしまい、死んだ女の肉体に入り込み、復讐を行っていく。女と大酋長は同居していて、レッドネックと見ると豹変し、殺戮する。婚約者もやってくるが簡単にレッドネックの手に落ちる。どういうわけか婚約者を拉致したレッドネック仲間の砦に女は姿を現し、大殺戮を敢行する。逃げ延びたレッドネックのリーダーは呪術師に倒し方を教わるが、女もやってきて最後の戦いになり、やっぱり勝利する。とにかく冗談すれすれにまで強い女だが、身の上や死ぬに至った経緯が哀切であるので、笑うに笑えず、とにかく復讐を見守るしかないということになる。これがいいのか悪いのか、判断に迷うが、飽きずに観ることが出来たのだったらいいとしよう。

なんとはなしに観ていて居心地が悪いのは設定と展開が呑み込めるが、呑み込むにはいささか重いからだろう。こういう映画の場合は、命は意外に軽いという全体を貫く骨が必要で、命は大切だという認識は邪魔になる。こう書くと、お前はどうたらこうたら言われそうだが、「赫獣」を書いた身で、「執行実包」を書いた身であるから、物語をこの時代に愉しむことにおいて、命なんて軽いといって何が悪いと居直っておく。

 

岸川真