kshinshin's blog

ヨモヤマ話

映画「ストーカー」

タルコフスキーの「ストーカー」だが、原作のみ読んでいただけで、以前名画座で観ていた時は寝てしまい、二回転目の上映にも気づかず、さらに寝て、思い出したら終映時間だったという、「さすらい」でも同じことになった、そういう思い出がある。

今回リマスター版を眺めてみたら、なんだこんないい話だったのかと感心しきり。昨年ぼんやりして借りた「惑星ソラリス」の時も、けっこうずうっと観て、いい話じゃないかと思ったので、やっぱり年齢とかも関係するのか。

基本的に陰気な話だ。

ゾーンという未知の場所があり、そこは立ち入り禁止区域。その案内人がストーカーというのだが、ストーカーは案内人として特殊な存在であり、かつ裏商売らしく妻は出かけることに反対する。けれど、自分の存在意義はゾーンにあると誇りがあるストーカーは作家と教授を案内する。ゾーン手前の検問所がいい。無機質で光が煌々とし、なんともいいなあと感じる。ストーカーは二人にいろいろと話をしてみせながら、更新される罠を避けて目的地である部屋の手前まで連れて行く。ひどく荒れ果てた廃墟と森が同居しているゾーンは魅力的で、三人のダイアローグも飽きさせない。衒学的と言われているが、けっこう単純な人生論であるので、明晰な映画と位置づけていい。頼み事を叶えてくれるゾーンの部屋へは三人共足を踏み入れず、帰って酒場で黙々と飲んでいたら妻が迎えに来てくれて、ストーカーはインテリの愚痴をこぼしながら床につく。妻はこういう結婚に悔いはないとカメラ目線で語りかけ、そうか偉いなあと僕は感心した。で、お猿さんとかあだ名されている娘は開巻でも、おや、と思ったが、やはりサイキック能力を持った脚の不自由な少女であることが判明し、なんだか知らないが、ゾーンとかストーカーとか原発の傍の街の片隅に生きることが、明晰にたいへんなことなのだよと伝わって、そうかそうであったかと頷くことで終幕となる。

 

岸川真