三鷹に越した
更新が一ヶ月以上途絶えてしまったが、まことに申し訳ない(誰に向かってだ)。
ええ、そうなんですよ、三鷹に越したのであるのですよ。
越したのは8月11日のことで、娘のミミオン(仮名、2歳8ヶ月)が肺炎を起こして予定を7日遅らせたのだ。当日二日前まで、荷造りに総出で(妻様とお義母さん、俺、そしてミミオン)奮闘した。
母さん、なんで家にこんなに荷物があるんでしょうね、そんな「人間の証明」みたいな西条八十みたいな感慨を抱きましたね、ミミオンもつぶらな瞳を潤ませてねえ。でも2Kの部屋に入るもんだわ。
この部屋は2011年の秋に入居して、55平米もあって安かった。安かったのは震災当時なので湾岸地価が下がったことも関係した。1964年に建ったビルで間取りが入ってすぐが台所・食堂で硝子仕切りが味の有るものだ。で、廊下がくっついて和室があり、奥に広間がある。便所と風呂場、手洗いが一段高くあり、機械じかけの通風装置はなく、換気は自然の流れでというもの。便所のダクトからどこからかの声がしたり、歌が聴こえたりした。この換気は大したもので、廊下→風呂場→洗面所→便所と空気が流れ、湿気がこもらない。一枚板の仕切りの便所がなんとも「時代」だった。
実母のユキコさまが東京に遊びに来た折、「あんたこいは炭鉱の社宅のごたるねえ」と懐かしがっていた。そういう造りなんだなと妻様と少し感心したもんだ。
そのビルも建て壊しで出ることになった。
当日が迫るとホコリが立つのと、本棚などを譲るなどで大物が動くのでミミオンと妻様は一時退避で実家へ。前夜は最終的な荷物の整理に動いた。絵本や作り付けにした棚などを動かした。不要品を粗大ごみとして運び出す。
ガランとした部屋は声が響く。
クーラーは運び出したので暑い。避暑に日劇まで歩いてレイトショー「パージ・アナーキー」を観に行って帰った。
翌日、朝イチで三鷹への最終運び出しと移動。ところが!
三鷹の部屋の鍵は2つあり、その1つがないのだ。管理会社も仲介業者も休み。盆休みである。連絡つかず、運び込みは中止! なにかを通過して笑いしか出ない引越スタッフ一同と俺。
「明日管理会社も連絡つかないなら、鍵屋に頼みます」
と言って撤収。さあ、どう明日まで時間を潰すかと思案。妻の実家へ帰るのも無理だしと…………恩人で師父である小野さんへ電話。すると「泊まってきなさいよ」と小野さんの奥様が言ってくださる。アテにしてはいたけれど、七割がた「漫画喫茶」と決断していたので、嬉し泣きだ。
それではと気持ちが楽になって南口銀座をブラつき、喫茶店をはしごする。その後は風の道を進んで吉祥寺、オデヲンまで「MI」を観に。三鷹、月島より涼しいと実感する。その前に牛カツを食い、ビールを飲む。汗だくであったので生き返り、士気もあがる。
映画自体はアクション映画が俺は苦手になったのだと痛感する出来で、眠くなる眠くなる。オデヲンはなんかいい感じの作りで、客層も中坊から爺さん婆さんがいて素敵であった。
小野さん宅へは約束の8時過ぎに。
いやあ、三鷹に住む前にこうなるとは、とお食事と酒を頂き、風呂もご馳走になる。ゆっくり眠ってリベンジマッチ。
10時に吉祥寺駅の仲介業者事務所へ行くと無情にも「お盆休み期間8月14日まで」と貼り紙。もうダメだ、パトラッシュ、疲れたよ、と一気に弱気になりつつ管理会社へ。
と、開いていた! 状況を話すとすぐに鍵を届けに来てくれると言う。引越部隊にも連絡すると午後三時以降に再開だと。
と、まあこういうゴタゴタで引越はスタートし、現在もまだ荷解きや配置の最中であるのだ。ミミオンは井の頭動物園を気に入ってくれた様子なので、少しホッとしている。
(岸川真)