kshinshin's blog

ヨモヤマ話

映画「ディフェンドー」

ウッディ・ハレルソンという俳優は好きだ。なんの活躍もしなかった「ノーカントリー」での演技に感心して以来、好きでいる。その彼が主演したのが本作で、スロウな自警「ディフェンドー」を描いたものだ。

麻薬中毒の母親は失踪したまま、その原因たる麻薬売人こそ悪の根源だと信じて、夜な夜なパチンコ、蜂、ビー玉、トレンチバットをもって悪党をやっつけようというのが彼だ。寒い街の描き方がじっくりしていていい。周囲の人物、とくにキャットという若い娼婦と我らがCJがハレルソンの友人で上司を演じていて味がある。

物語の展開はコメディというよりクライム・サスペンスの一種で、どこか「タクシー・ドライバー」を想起させるところもあったりして、極めてストレートな演出に感心した。僕はノーラン=バットマンは嫌いだし、「アベンジャーズ」も興味が無い。ああいうムキムキした体育会は敬遠しているし、ことさらに己の行為に悩みまくるヒーローも必要がないと思っている。なので、このハレルソンは好感が持てるし、アメリカ人が好きなイノセントな善人を嘲笑おうという気もなく、素直にヒーローに憧れたガキっぽさを追体験させられ、その結末にもグッと来るものがあった。

結末の容赦なさもまた、いまの作品という印象を与え、甘くないというところも、かつては不満に思うだろうが今では受け入れられる。21世紀のヒーローは確実に死にさらされている。幸福は希求しても感じてはならない。それはならないのだと、守るべき大衆に示す役割を担うようになったからだ。80年代、90年代は生き残り、悪を罰することで幸福を得られるという幻想を持てたが、いまとなっては、悪も善も等価交換出来、多様性という虚妄に取り憑かれてしまい、善を唄うことは難しくなった。善を唄うならば死を受け入れろ、そう時の神は言っている。

人柱となるヒーローはそうそういない。

悪を倒してどこかのカフェで恋人と睦まじくするとか、悪の果てまで仕事すると決めたワーカホリック気味のヒーローたちばかりが目立つ。

そのなかでひっそり息を引き取るディフェンドーは最も現在形のヒーローであると言えるだろう。ハレルソン、かっこいいぜ。おめでとう。

 

岸川真